頭山 満とは?

頭山満さんは、アジア主義の立場で江戸時代から昭和にかけて、長期間にわたって活躍した国家主義者です。また、玄洋社を設立に貢献し、箱田六輔や平岡浩太郎とともに、玄洋社三傑と呼ばれた右翼の黒幕的存在でした。

頭山 満と玄洋社

頭山満は、1800年代後半、板垣退助が西郷隆盛に続いて決起することに期待して、高知を旅立ち、自由民権運動に参加しました。当時、20代だった頭山満は、血気盛んで、かなり攻撃的な性格だったといわれています。そんな頭山満を板垣退助が諌めて、言論による戦いを主張するよう指導したらしいです。頭山満は、板垣が興した立志社集会で初めて演説を体験し、感銘を受けたと言われます。そこで、植木枝盛ら民権運動家と交流を深めていきました。

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頭山 満の書

板垣退助や西郷隆盛といった民権運動家として有名な人々に比べると、頭山満の名前は、それほど一般的に広まっていませんでした。今でも、頭山満を知る人は、それほど多くないかも知れませんが、2005年に「頭山満 生誕150周年記念」のも催し物によって、現代に人の認知度も高くなったのだと思います。私も、福岡にある「玄洋社記念館」を訪ねてみたのも、それがきっかけでした。今はNTTドコモ九州ビルの一角に「玄洋社跡」という碑が建っているのですが、そこからそれほど遠くない場所に頭山満の「玄洋社記念館」があります。記念館では、孫文の玄洋社墓地訪問の写真や中野正剛の東条首相への抗議文と抗議の自殺(57歳)の記事をはじめとして、広田弘毅の「春風接人 秋霜自粛」の書、日本相撲協会を応援した写真など、当時の国家主義者として活躍した頭山満にまつわる貴重な品々が並んでいます。

頭山 満と中村天風

頭山満の玄洋社記念館の中に、こんなメッセージが飾ってありました。「人間は魂さえ磨いて居ればよい。ほかに何も考えることはいらん。国も人も魂じゃ。魂の無い国、魂の無い日とは国でも人でもない」頭山満には、このような魂・精神に関する教えを説くようなメッセージが数多く残されています。また、松下幸之助が師事したことで有名な中村天風は、軍事探偵として活躍し「人斬り天風」と呼ばれていた16歳の頃、頭山満の知己を得たといいます。中村天風の自己啓発の考え方の基礎的な部分は頭山満のそれにかなり影響を受けたのではないかと見る人も多いようです。

頭山 満のお墓

頭山満のお墓は、長崎県の祟福寺にあります。崇福寺は、寛永6年に長崎に在留していた福州の人々が、唐僧超然を迎え寛永9年に創建したという歴史あるお寺。頭山満の墓というと、その息子が墓の前で拳銃自殺を図ったことで有名ですね。

頭山 満という人

頭山満は、右翼のトップとして有名ですが、金玉均、孫文、ボースらを支援したことや、頭山満と親しい関係にあった杉山茂丸の息子に夢野久作がいたりと、非常に文化に精通した人であり、また私利私欲のない人だったと言えると思います。思想の方向性はともかくとして、頭山満は現代の政治家にはない実直な印象を与えてくれます。